マーケティングコラム

【アド論アーカイブ】セレンディピティとアドテクノロジー

2020.11.24Column
【アド論アーカイブ】セレンディピティとアドテクノロジー

【アド論アーカイブ】セレンディピティとアドテクノロジー

セレンディピティ(serendipity)とは、イギリスの小説家ホラス・ウォルポール(1717~1797)による造語で
「思わぬものを偶然に発見する能力」のことです。(広辞苑より)

この能力を説明する例として、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の有名なエピソードがあります。
田中氏はある日、実験で使う試料に間違えてグリセリンを混ぜてしまいました。

しかし、この偶然できた失敗作の試料から何かを感じた田中氏は、その試料を捨てずに実験を続けたことでノーベル化学賞につながる大発見をすることができました。

このように、偶然の中から価値あるものを発見し、偶然を必然に変える能力、それがセレンディピティです。

実はこの能力、皆さんも身近なところで発揮していることにお気づきでしょうか。

誰もが持っている「セレンディピティ」

ネットである情報を探しているとき、その途中で目的とは全く異なる魅力的な情報を見つけて、気がついたらそちらの情報に夢中になっていた、という経験はありませんか?

記事画像②

ネット上で偶然見つけた情報から何かを感じ取り、自分にとって必然の情報に変えていく、これはまさにセレンディピティ。
そして、ネット上では誰もがこの能力を普通に発揮しているのです。

セレンディピティを刺激する広告=究極の広告?

もし、ユーザーのセレンディピティを意図的に刺激することができれば、広告コミュニケーションの可能性は大きく広がります。
ユーザーと広告の偶然の出会いを、ユーザにとって必然の出会いに変えることができるのですから。

では、そのためにはどのようにコミュニケーションをとればよいのか?
その答えを見つけるには、まずセレンディピティという能力の源泉を考える必要があります。

田中耕一氏はなぜ失敗作の試料に価値を感じることができたのか?
大発見につながる試料を手に入れたのは偶然ですが、その失敗作の試料で実験を続けてみようと思ったのは、これまでの経験によって研ぎ澄まされた好奇心のアンテナが価値を感じとることができたからです。

このように、セレンディピティはその人の「これまでの経験」が大きく寄与した能力である、と私は考えます。
つまり、個々のユーザの経験に寄り添ったコミュニケーションをとることさえできれば、セレンディピティを意図的に刺激することができるのです。

しかし、そのようなコミュニケーションをとることは実際に可能なのでしょうか?

2010年、当時のGoogleのCEO エリック・シュミットは、検索の将来についてのスピーチ上で「Googleはセレンディピティエンジンになる」と発言しました。
検索のパーソナライズ化が究極に進化した結果、Googleは探すエンジンから気付かせるエンジンになる、といった主旨だったと記憶しています。
これはまさに個々のユーザの様々な経験にリンクしてセレンディピティを刺激するエンジンになるということ。
そして今、Googleのアドテクノロジーはその方向に猛スピードで突き進んでいます。

DSPのターゲティングテクノロジーも、行動パターンや検索行動など、ネット上のユーザの経験とリンクを深める形で進化し続けています。

セレンディピティを刺激する広告、それは、進化し続けるアドテクノロジーの究極のゴールなのかもしれません。

<参考文献・資料>
・生涯最高の失敗(朝日選書) 著:田中耕一
TechCrunch 「Eric Schmidt On The Future Of Search — A Move Towards A “Serendipity Engine”」

※アド論掲載日 2011年11月16日

神津 洋幸(こうづ ひろゆき)
ライター:神津 洋幸(こうづ ひろゆき)
ストラテジックプランナー、リサーチャー。Webプロモーションの戦略立案、Web広告効果の分析・オプティマイズ、各種リサーチなどを担当。前職はマーケティングリサーチ会社にて主に広告効果の調査・分析・研究業務に従事。2004年より現職。
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