30代の球団社長が見据えるプロ野球団の未来。香川オリーブガイナーズ 福山敦士氏インタビュー
プロ野球独立リーグ・四国アイランドリーグplusの公式球団である香川オリーブガイナーズ。2023年6月、起業家の福山敦士さんが球団社長に就任して話題となりました。
福山さんはサイバーエージェントの在籍時や独立後、いくつもの企業の立ち上げに携わり「連続起業家」としても知られています。現在は教育の分野でも活躍する福山さんの軌跡をたどりつつ、球団や地域にかける想いを伺いました。
(執筆:サトートモロー 進行・編集:GMO NIKKO株式会社 ストラテジックプランナー 神津洋幸 対談聞き手:GMO NIKKO株式会社 西日本エリアマーケティングマネージャー 吉田純也)
きっかけは野球を続けさせてくれた社会への恩返しだった
神津:
福山さんはなぜ、最初のキャリアとしてサイバーエージェントを選んだのでしょうか?
福山:
藤田晋さんの著書『渋谷ではたらく社長の告白』を読んだのが決め手でした。進路選択については、大学の環境が大きく影響しています。
僕が通っていた湘南藤沢キャンパス(SFC)には、ベンチャー企業へ就職する先輩が多く在籍していました。また、DeNA創業者の南場智子さんやKADOKAWA代表の夏野剛さん、堀江貴文さんなどが、大学の特別講師として登壇されていました。
「将来は教授になるんだ」と考えていた当時の自分にとって、起業家の方々の講師のお話がとても新鮮で、多くの学びを頂きました。起業して成功した先にも、教授みたいなことができる、ビジネス自体も研究活動のようなものだと感じました。なるべく最短で結果を出し、圧倒的に成長したいと考えておりました。大企業に入るよりかは、これから大きくなる会社の方が自分の望むキャリアが叶いそうだと考え、ベンチャー企業への就職を選択しました。数あるベンチャーの中でも、特にサイバーエージェントは「社長になれそう」という印象を受けました。
神津:
即レギュラーを勝ち取りやすいという点で、就職先を選んだのですね。
福山:
野球と違ってベンチャー企業は「ポジションが増えるから、レギュラーになりやすい=成長環境がある」という理解です。加えて、僕は「伝統や歴史に縛られず新しいことに挑戦することで、世の中に勇気を与えられる」という原体験がありました。 2023年の夏の甲子園で、慶應義塾高等学校野球部が優勝して話題になりました。僕も、同校が2005年、45年ぶりに甲子園に出た時のメンバーでした。
当時から、慶應義塾高等学校野球部は「髪型自由」「自主練習の時間を長く取る」「合理的な手法(逆シングル、ジャンピングスローなど)取り入れる」という方針でした。当時はそれが先進的でした。周囲からは「高校野球らしくない」と批判されていたものです。それでも甲子園出場・ベスト8という結果を残したことで、歴史を少しだけ変えられたという実感がありました。
慶應義塾大学に進学後も、体育会準硬式野球部で半世紀ぶりに全日本大会出場・ベスト8という結果を出しました。この体験を通じて、若い世代が歴史を塗り替えて、社会にインパクトを与える。そうしたゲームチェンジによって、世の中を活性化させていきたいという気持ちが、強くなりました。
歴史や伝統のある大企業では、ゲームチェンジに時間がかかってしまう。そこで、IT業界という新しいムーブメントを起こそうとする会社を選んだんです。
強みは自分で作り出すしかない
神津:
そこまでの強い決心があったのですね。サイバーエージェントに入社後は、次々と事業を立ち上げていったと伺っています。
福山:
2011年、僕が入社した頃は、内定者時代から「スタートラインは一緒じゃない」というメッセージを上司から頂いておりました。実際、入社前にアプリ事業を成功させて、子会社の取締役や事業責任者に抜擢された同期もいました。
そうした環境で、早く何かを成さなければという焦りがありました。しかし、僕は小中高大と野球だけに打ち込んできたので、野球のアイディアしか思い浮かびません。
「少年野球大会を開催しましょう」
「野球チームをつくりましょう」
事業プランコンテストの度に、野球関連の案を出してはボツの日々でした。それでも僕は、気合と根性と体力だけは誰よりもあると思っていました。しかし企画力が不足している。何がビジネスとして成立するのか全くわかっていませんでした。そこで、先輩が立ち上げるスマートフォン事業の子会社の、創業メンバーとして参画することにしたんです。
その後は、いくつもの事業のスクラップ&ビルドを経験し、ある子会社の営業部長になりました。そこで売上を1から数億まで伸ばし、25歳で同社の取締役に就任しました。
吉田:
20代半ばの時点で、ものすごく濃密な経験を重ねていったのですね。
福山:
GMOインターネットグループさんは、インターネットインフラに強みをお持ちだと思います。僕の在籍時、サイバーエージェントにそういった強みはなく、企画力×実行力で勝負するような世界でした。
この環境が、「強みは自分でつくり出すしかない」という、僕のビジネスパーソンとしての核を形成してくれました。
協賛に頼る球団経営からの脱却
吉田:
香川オリーブガイナーズへの参画は、どのような経緯があったのでしょうか?昔から打ち込んでいる野球に対して、強い想いがあったとか。
福山:
元々、個人としてもスポンサー支援をさせて頂いておりました。が、それとは別経由でのご縁とタイミングが重なって、経営に参画する機会が舞い込んできました。
結果的に(野球に対する強い思いが)あるように見えてしまうのですが、野球に対する執着心が特別強かったというわけではありません。ただ、野球を通じての人格形成やキャリア支援、他事業との連携などに対しては強く思うところはありました。近い将来、経営をすることを想定していました。だからこそ、話をいただいた時に「今だ!」と即決できました。
とはいえ、球団経営は想像以上に厳しいものでした。預かった以上は球団をサスティナブルな形で運営できなくてはなりません。特に「協賛に頼った球団経営」からは脱却せねばと考えました。
例えば、マザーハウスというアパレルブランドがあります。このブランドはバングラデシュに縫製工場を建てて、現地で雇用を創出し、日本へ商品を輸出することでビジネスを成立させています。地域の課題を寄付や協賛だけではなく、ビジネスモデルで解決する、という在り方に僕は共感しています。
産業をつくり雇用を生み出すのは、地域経済にとっても重要です。球団経営も同様で、寄付や協賛の依存度が高まると、経営が不安定となり、選手も安心してプレーが出来ません。
地方のスポーツ球団はお金がないという声を、よく耳にします。球団の社長に就任してからの半年間で、お金がないというよりも「ビジネスモデルが成立していない」ことが課題の本質だと気づきました。逆に言えば、ビジネスモデルを成立させることが、チームを継続的に強くすることにつながると確信しました。この目標に向けて動くことで、地域やスポーツの未来に貢献できると信じています。
野球界を盛り上げ「野球以外の可能性」に気付いてもらいたい
神津:
野球チームにおいて、ビジネスモデルの確立には興行にも目を向けなければならないと思います。そうなると、強い選手の獲得や補強も視野に入ると思いますが、その点についてはどう考えていますか?
福山:
高校時代の恩師であり慶應義塾高校前監督の上田誠さんに、選手のリクルーティングを協力いただいております。野球界は人脈がものをいうケースも多いと感じております。
一方で、「球団経営1.0」から「球団経営2.0」に進めるにあたって、選手のキャリアサポートも重要なテーマです。球団として勝ち負けは重要指標です。しかし、選手にとって独立リーグは1つの通過点であり、その先の活躍こそが重要指標だと考えます。あえて、独立リーグ、特に香川球団を経由したことの意味を考え直す必要があります。
独立リーグには、高校卒業だけでなく、大学・社会人野球を経由される方や、NPB(日本プロ野球)を引退した方も門戸を叩きます。若者から多くのパワーをもらう一方、労働人口が減りGDPが20年間横ばいの昨今、球団はある意味「20代の若い労働力を資本市場から預かっている」という見方もできます。
彼らに最低限のビジネスの力や知恵を授けて世に送り出す。それが、僕がここにいる意味であり責任だと考えております。選手を集めてチームを勝たせると同時に、その先近い将来、彼らが社会で活躍できる状態に仕上げ、活躍できる場所を用意する。この二刀流が、今の時代に必要だと考えています。
吉田:
福山さんは社長に就任した時、「社会のリーダーを輩出する」というビジョンを掲げていましたね。就任から半年で、さまざまな活動を進めてきたと思います。この間、選手たちの考え方に変化はみられましたか?
福山:
まだ変化しているとは言えないです。ただ、新入団選手にはこの話を直接しているので、少しずつ変わっていきそうです。選手たちもキャリアの重要性は理解していますが、「野球を終えてから考えよう」という風潮が続いているので、それを変えるのはすごく大変です。
とはいえ、ここで諦めたら僕が参画した意味がないので、2024年から新しい施策を取り入れる予定です。
福山:
少年野球〜中学校野球の野球人口は、少子化よりも速いペースで減り続けています。しかし、20歳以降で野球を続ける人口は15年前と比べて、ほぼ倍増しています。背景には、大学野球部の人口増、社会人クラブチームの増加、独立リーグの台頭など、選手たちの受け皿が増えたことなどがあげられます。
一方で野球界では、野球のキャリア以外の道を示せない方が、野球選手のキャリア指導を行っている点が問題だと考えております。
特に野球はキャリアの幅が狭くなりがちです。球団スタッフやコーチ、監督などは、他のスポーツや外部からの人材ではなく、基本的に同じ球団出身の選手がキャリアアップするケースがほとんどです。野球以外にも多くの世界があるのに、構造的にそれを伝えられる上司が存在しないのです。学校教育の現場でも、学校以外の世界と関わりが少ない方々が、キャリア教育を担当する、という似た構造があります。
神津:
その流れが常態化して、選手たちも自分のキャリアを見いだせずにいるのですね。
福山:
だからこそ、野球選手たちと外の業界(特に民間企業)とを、うまく接続させる仕組みが必要です。野球で学んできたことを活かせる場は、世の中にたくさん存在する。そのことに気付き、主体的なキャリア選択ができる状態をサポートする。目指す未来を定めること、そのための努力を施すのが、我々球団の責任だと思います。
まずは香川オリーブガイナーズ球団で成功事例を作り、ゆくゆくは地域スポーツ業界全体に良い影響を与えていきたいです。
とはいえ、仮に成功例が生まれてもそれを真似る人はほんの一部です。僕は、世間が気づかないうちにしれっとルールを変えてしまうのが得策だと考えています。高校球児が自然と甲子園を目指すように、野球選手が主体的なキャリア選択をすることがあたりまえの世の中にする。そんな仕組みをまずは野球界に仕掛けていきます。
神津:
お話を聞いていると、福山さんの若者への愛情をひしひしと感じます。
福山:
あまり意識したことはなかったですが、若い世代に対するリスペクトや、守ってあげなければという想いは人一倍強いかもしれません。熱意や夢を持っている若い人たちが、がっかりしない状態をつくりたいと考えております。
時間をかけて掘り下げることで見える未来がある
福山:
実は、香川オリーブガイナーズに就任した当初、大きな挫折を味わいました。
現地の方々からの「こっち(香川)出身なの?」「どこ住んでるの?(住民票移したのか)」という質問を多数の方からいただきました。「よそ者がやってきた」という厳しい目線を感じました。よそ者だから排除、ではなくその逆でした。「この街では誰が偉くて、誰のいうことを聞かなければならないのか」という話があり、結果的に歪んだ解釈を植え付けられました。知人が1人もいない中、いろんな方々からいっぺんにたくさんの情報を吹き込まれ、ある意味洗脳されていました。最初に仲良くしてくれた方を頼りにしていたのですが、結果的にその人経由で、僕や球団に関するあらゆる情報が筒抜けになってしまい、発言を切り取られ、一部の方からの信用を失いかけました。
その間も球団はシーズン真っ盛り。しかし人気は下火で、観客は目視で数えられる程度、球場利用料を賄えるだけの入場料収入には到底及ばず。会社に入ってくるお金はなく、ただ毎月、現金が数百万円単位で流れ出ていきました。球団にはお金がないため、自分の口座から支払い続けるしかありませんでした。借入もできず、増資も禁止され、近くにいる方にも相談しづらい状況で、どうしたら良いのか分からず、何が真実で何が間違っているのか、判断軸を持つことの難しさを痛感しました。鎖で手足を縛られ、ひたすら暴力を受け続けている感覚でした。別件で東京に帰った時、このまま逃げてしまおうかと一瞬思ったこともありました。
神津:
かなりつらい状況ですね…。
福山:
でも、自分の状態を俯瞰し、「この難題は自分以外解決できるわけがない」「自分がこの状況を突破しないと、後に続く人が現れない」と思いました。思い込むようにしました。この状態のまま、誰かに任せてはいけない。地元に密着して、関係性を築く。その一方で、若者が活躍できる土台をつくる。そのために、より大きな目標を設計しようと決心しました。
吉田:
決心を固めてから、どのように挫折を乗り越えたのですか?
福山:
まだ何も成功してないので、偉そうなことは言えませんが…。現時点の仮説としては、高い目標を掲げて「時間をかけて取り組む」ことだと思っています。これは、僕のビジネススキルの中でも、足りない素養の一つでもありました。多くの先輩からも、「福山は急ぎ過ぎだ」と言われてきました。今回、香川での挫折は必然で、神様から与えられた宿命だと思いました。
そこから、関係者のみなさまに1軒ずつあいさつ回りをしました。営業は後日と割り切って。東京との大きな違いは、初対面の人に対する信用度合いかと思います。一度話しただけの相手を簡単に信用いただけない印象を受けました。お酒の席も大切ですが、一晩お酒を酌み交わすだけでは足りません。訪問だけでなく、経営者が集まる会合に足を運び、そこでも接点を設けて、時間をあけて再び会って、他の人からも評判も悪くない状況になってはじめて「よく知ったやつ」になり、ビジネスの話が許されます。この土地にちゃんと根を張ってやろうとしているかどうか、というのを見られているのだと感じました。「東京からやってきた人」に騙された過去があるのかなと想像しました。
そうやって、時間をかけて関係を築いていくことを今は大切にしています。とはいえ、「高い目標」と「期日」を設けると、どうしてもスピードが出てしまいます。1つのプロジェクトがゆっくり進む分、プロジェクトを同時並行で進めることでスピードダウンしないように配分しております。
神津:
香川オリーブガイナーズでの経験が、ビジネスを進める上での意識改革につながったのですね。
福山:
これを読んでいる若い方々も、周りの活躍に惑わされず高い目標を掲げて「時間をかけて取り組む」ということを、1つの手段として知ってもらえると嬉しいです。短期での成果獲得も大切ですが、時間をかけないと得られないものも世の中にはあると今は思っています。
20代、サイバーエージェントにいた頃は、スマホアプリ・ソーシャルゲームの開発・広告、SaaS事業などを中心に仕事をしておりました。毎日数字との格闘で、細かな文言修正、バナークリエイティブの修正などで数字に変化があることに一喜一憂しておりました。しかし、その仕事の先に世の中にインパクトを与えられるようなイメージは持てませんでした。
実際に、球団経営の仕事、およびまちづくりの仕事に携わるようになって、当時の効果改善、施策実行スピードなどは確実に活かされている実感があります。
今の業務がいつ役立つかわかりません。が、「成果からの逆算」「改善施策の効果検証」などは、どんな分野でも役立ちます。デジタルマーケティングはビジネスパーソンとしての基礎になり得ます。
神津:
最後に、福山さんが今後叶えたい夢やビジョンはありますか?
福山:
夢というか目標なのですが、2028年までに高松にボールパークをつくることです。この期日も「急ぎすぎ」と言われちゃいましたが(笑)。
ボールパークとは、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島やエスコンフィールドHOKKAIDOのように、野球以外のコンテンツを付帯させた野球場です。文字通り「パーク(公園)」となるように、地域の方々が気軽に遊べるような集積地をつくることが目的です。近年は商業施設と付帯させるのが一般的ですが、香川県高松市には日本一のアーケード街があります。
そこで、高松市のボールパークは教育施設と野球場を一緒にしたいなと。野球がなくても学びの場になり、学びも面白くエキサイトできる、教育&エンターテイメントで地域を盛り上げるような、そんなボールパークをつくりたいと考えています。
ボールパークを建設するには、膨大な資金が必要です。行政と連携して空いている土地を活用することで、ある程度金額を抑えられる可能性もありますが、それでも数十億円はかかるでしょう。その資金を調達するために、IPOを目指します。
そうして誕生するボールパークが、地元の方だけでなく、野球に関わるすべての方々にとっての誇りになればとても嬉しいです。
神津:
完成したらぜひ、現地で取材させてください。
福山:
その取材が実現するようにがんばります。
- ライター:神津 洋幸(こうづ ひろゆき)
- ストラテジックプランナー、リサーチャー。Webプロモーションの戦略立案、Web広告効果の分析・オプティマイズ、各種リサーチなどを担当。前職はマーケティングリサーチ会社にて主に広告効果の調査・分析・研究業務に従事。2004年より現職。
X(twitter)