「その決定に根拠はありますか?」全マーケターに伝えたい戦略に活かすエビデンスの作り方 小川 貴史×山本 寛
「多くのマーケターに、エビデンスに基づくマーケティング活動の重要性を広めたい」
2024年6月に出版された『その決定に根拠はありますか? 確率思考でビジネスの成果を確実化するエビデンス・ベースド・マーケティング』には、そんな想いが込められています。
マーケティングアナリストとして、数々の企業でマス・デジタル両方のマーケティング戦略の最適化に注力してきた、株式会社秤 代表取締役社長の小川貴史氏。
オリエンタルランドやパーソルキャリア株式会社でのリサーチに従事するほか、個人でもアドバイザーや講師として活躍するマーケティングリサーチャーの山本寛氏。
二人の著者によってまとめられた本書は、全6章で実践的なエビデンス・ベースド・マーケティングの手法を学べるほか、数々の著名人との巻末インタビューが収録されています。
今回は、弊社の神津洋幸(ストラテジックプランナー)がモデレーターとなり、二人が書籍を通じて世のマーケターに伝えたいことを伺いました。
(執筆:サトートモロー 進行・編集:神津洋幸)
多くのマーケターにエビデンスに基づくマーケティングの重要性を広めたい
神津:
本書のタイトルにも書かれている「エビデンス・ベースド・マーケティング」は、まだまだ日本では浸透していない言葉だと思います。この分野を分かりやすく説明していただけませんか?
小川:
エビデンス・ベースド・マーケティングは、大胆な戦略を描きつつリスクを回避する確率を上げるためのエビデンス(明確な根拠)を示すための骨組みです。
エビデンス・ベースド・マーケティングの対応範囲は非常に広大です。
日本では2018年にエビデンス・ベースド・マーケティングの代表的な研究機関である南オーストラリア大学アレンバーグ・バス研究所のバイロン・シャープ教授による著書『How Brands Grow』が、『ブランディングの科学 誰も知らないマーケティング』という邦題で日本で出版されました。森岡毅氏と今西聖貴氏の『確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力』を読んだことがあるマーケターの方は多いと思います。同書には、NBDモデルやプレファレンス(消費者の選好性)に対応する「M」というNBDモデルの係数を把握して行う科学的なブランディングの手法がまとめられています。NBDモデルは1959年にアンドリュー・アレンバーグ氏によって紹介されたものです。
『その決定に根拠はありますか? 確率思考でビジネスの成果を確実化するエビデンス・ベースド・マーケティング』では、前述した2冊に共通する部分をわかりやすく紹介し、NBDモデルなどを多くのマーケティングの現場で使える方法として共有することを目指しました。新興ブランドが既存市場でシェアを伸ばす方法や、新市場創出の方法を体系的にまとめました。TVCMを投下するような大規模なマーケティング予算がある企業に限らず、小規模な事業者の方も使える内容を目指しました。
神津:
なるほど。『その決定に根拠はありますか? 確率思考でビジネスの成果を確実化するエビデンス・ベースド・マーケティング』は、どのような経緯で出版されたのでしょうか?
小川:
マイナビ出版の代表取締役である角竹輝紀さんが、今回のテーマについての書籍化を強力に後押ししてくださったことが、出版の最初のきっかけです。
実は本書はもともと、「マーケティング投資最適化の教科書」というタイトルで企画を通していました。内容もそれに対応するものだったのですが、このままだと一定規模の事業者のCMOにのみ受け入れられるような、マニアックな本になってしまうという懸念があったんです。そこで範囲を拡張し、多くのマーケターに、確率モデルや因果推論(データに基づいて因果関係を推定すること)から導かれるエビデンスに基づく、マーケティング活動の重要性を広めたい。私たちはそう考え、出版ギリギリまでアイディアを練って今のタイトルへと変更しました。
内容も、市場浸透率や顧客構造の把握などの分析について、「この分析はすごいんだ!」といった主観による尊大な表現は一切排除しました。書籍もカラーではなくモノクロにして、図表の表現の幅をあえて制限して分かりやすさを追求しています。
神津:
内容の分かりやすさにフォーカスして、書籍を作り上げたのですね。
小川:
マーケターの集まりに参加すると、「必死に分析やリサーチをした結果を上層部に見せても、聞く耳すら持ってもらえない」という若手マーケターの切実な状況をよく目にします。この本が、現場で一生懸命頑張っているのに報われないマーケターがいる世界を、変えるきっかけになったらいいなと思っています。
バイアス補正に対する姿勢がビジネスに対する本気度を表す
神津:
本書ではさまざまな分析手法について語られていますが、全章にわたって「バイアス(数値の偏り)の補正」の重要性を強調していますよね。リサーチで発見されたバイアスを、どのように修正すべきかは重要な観点でありつつ、非常に時間がかかる作業でもあります。
お二人は、バイアスの補正で何を重視していますか?
山本:
バイアスは大きく2種類あると考えています。ひとつは調査データ同士の比較をするときのバイアスで、もうひとつは調査データと現実の間にあるバイアスです。
「調査データ同士を比較するときに見つかったバイアスの補正」は、「その比較は本当にフェアなのか」に気をつければいいので、比較的簡単かなと思います。例えば「性年代のデータ構成比がまるで違うAとBのデータ」を比較するのは、本当にフェアなのかといった感じです。
「調査データと現実との比較で見つかったバイアスの補正」はというと、前者よりはるかに重要性が高いと思います。
実際の調査では、データで得られる市場規模と現実との間に、数倍〜数十倍の差異が生じるケースが珍しくありません。目安として活用するならともかく、ここを無視して、「このサービスの市場規模は◯千万人です」なんて結果を導き出し、実際に発注などのアクションに移してしまえば、大失敗する未来は目に見えています。
ビジネスの戦略を立てるうえでの根本的な数値を見誤らないためには、さまざまなデータソースに触れて、バイアスを補正する必要があります。私は、バイアス補正にかける姿勢がそのまま「マーケターがどれくらいそのビジネスに本気なのか」を表していると思っています。
小川:
バイアス補正に関する話でいうと、本書の3章では、私が開発した※消費者調査MMMなどを用いた手法について解説しています。
MMMは、企業が複数のチャネルで実施したマーケティング施策の効果を、データを用いて測定するための方法論。
消費者調査MMMは、市場浸透率の低いブランドは購入頻度が低くなるという「ダブルジョパティの法則」や、消費者行動の確率モデルなどから着想を得た分析手法。因果推論(データに基づいて因果関係を推定すること)や確率モデルを用いた消費者調査の方法として、小川氏が特許を出願。
私が新しい手法を開発してまでバイアス補正を試行錯誤するようになったのは、従来の調査手法は部分的なデータだけで判断しているケースが非常に多いからです。
例えば、あるファストフードチェーンの売上規模を調べる過程で、中心となる購買層の20代女性の利用頻度を参照しました。仮に20代女性における売上規模を直接回数を聞いた結果から推計した値が1,000億円だったとしましょう。20代女性だけだと何の違和感を感じないのですが、すべての年代性別の推計を積み上げて全体の売上を推計すると1兆円となったが実際の売上は5,000億円といったズレが生じることは少なくありません。しかし、もしも確かな手法で20〜60代の利用頻度をすべて調べられたら、まったく異なる世界が見えてきます。こうした包括的なアプローチを取ることで、データのバイアス補正ができ、より正確な分析が可能となります。書籍では確率モデルを用いて、バイアスを補正し購買回数の推計を現実と合わせる方法を紹介しています。
ここまでの詳細な分析に、労力を割いているマーケターはほとんどいません。しかし、実際に本書で紹介している消費者調査MMMなどの手法を用いて得られた分析ダッシュボードなどのアウトプットを見て、多くのマーケターが目を輝かせるという事実は、ぜひ知っておいてほしいです。
そのアウトプットを見たマーケターは、必死に戦略を考えはじめます。この態度を生み出すことが非常に重要なんです。
山本:
提示されたアウトプットを前に、事業者側の担当者が消費者に対する仮説や勘所を見出していかないと、その事業に推進力は生まれません。
顧客理解のリアルを凝縮させた第6章
神津:
『その決定に根拠はありますか? 確率思考でビジネスの成果を確実化するエビデンス・ベースド・マーケティング』を読んでいて特に面白かったのが、第6章「新たな市場を発掘できる調査分析法」です。
調査分析の設計や実践が実況中継的にまとめられていて、臨場感があり非常に読み応えがありました。
小川:
この章についての裏話をすると、私は山本さんのマーケティングの講義を受講したとき、感銘を受けて連絡を取ったんです。そこから、弊社の重要なプロジェクトのほぼすべてで、山本さんにアドバイスを求めるようになりました。
山本さんの講義でも痛烈に刺さったのが、「顧客理解を理解する」という言葉でした。顧客理解の重要性は誰もが当然だと思いますが、言葉の定義があいまいな人は少なくありません。山本さんの講義を受けて、また一緒に仕事をする過程で、そこがクリアになっていったんです。
本書の第6章は、まさに顧客理解が根本となる内容です。ここはぜひ、山本さんに書いてほしい。そう思いお声がけしました。
山本:
神津さんは「実況中継的」とおっしゃってくださいましたが、実はそこも意図して制作しました。本章の中心的な内容であるインタビュー調査の専門書はいくつも読んできましたが、その内容を参考にしつつ、今回は実践に振り切り、「実際にやってみる」というスタンスで内容をまとめていきました。インタビュー経験のない読者が「こんな感じに進むのか」「なら、自分にもできる」と感じてもらうことを大きな目的にしています。
小川:
従来はマーケティング調査というと、リサーチ会社にすべて丸投げするのが当たり前でした。しかし、最近ではセルフ型アンケートツールの「Freeasy(フリージー)」などの存在により、自社でアンケート調査・インタビュー調査ができる土台が整っています。
消費者の声を直に聞くというのは、ときに仮説とかけ離れた言葉が返ってきて凹むこともあります。しかし、リアルの声を聞くことそのものが、事業会社には大切な行動です。
それを伝えるために、6章ではただ手法だけをまとめるのではなく、インタビュー調査の動機づけと、それを行ううえでのマインドを養えるようにしました。
また、2〜3ヵ月かけて念入りに準備を重ねて、実際の調査設計から調査後の分析の過程をまとめていきました。完成本を手に取って、6章の分厚さに驚かされましたけどね(笑)。
「とにかくやってみよう」のマインドセットがマーケターの成長を大きく左右する
神津:
本書には、ここで話してくださった以外にも魅力的な内容が詰まっています。しかし同時に、データ分析の専門知識など難しい要素もあります。本で書かれた内容を実践していくうえで、私たちにはどのようなスキルセットが必要でしょうか?
小川:
難しく考える必要はないと思います。とりあえず実装しちゃおう!と動き出せるマインドセットがあれば十分です。
私の知人に、「僕は小川さんのように、電通グループなどで数十億単位の金額が動くプロジェクトに関わった経験はありません。ですが、小さいながらもゼロベースでいくつも事業を立ち上げてきました」という人がいます。
私はむしろ、知人のような考え方で行動できる人が、今後ますます成長できると感じているんです。この本も、そんなマインドセットを持っている人のために書きました。
山本:
小川さんの話を聞いて、まずは手を出してみることが大切だと改めて感じました。
私は41歳ではじめて転職をしました。それが新しいこと、未知のことを「まずはやってみる」という方向への第一歩となりました。
新しいことは面倒ですし、自分にできるか不安だと思います。それでも転職という「新しいこと」への行動を起こしたことで、私は人生が幸せになったと思います。「まずはやってみる」という行動様式が少し身についたおかげで、得るものが多くありました。こうして書籍を書かせていただいたのもそのひとつです。
振り返ると、自身の置かれた環境に文句を言いながら、新しいことに対してあれこれと言い訳をして、行動できない人をたくさん見てきました。また、新しいことに踏み出さない言い訳に「もっと若い人に任せればいい」「私はもう年だから」という言葉を使う人も複数いました。以前の私がそうだったのですが、現在ではもったいないと感じます。生存者バイアスかもしれませんが。
転職のような大きなことでなくても問題ありません。例えば、他人に勧められた本をちゃんと読んでみるとか。新しいことへの機会を逃さず、そんな小さなことから始めてみればいいと思います。まずは本書をきっかけに、新しい物事に挑戦してみるという行動様式を身につけていただければとても嬉しいです。
神津:
私自身、本書を手にとって「これをやってみよう」と思える部分がたくさん見つかりました。第6章で紹介されていたツールはとても興味深く、さっそく契約するための稟議書を書いているところです(笑)。
小川:
全6章を通じて、「やってみよう」と思える要素をバランスよく盛り込んだつもりなので、そう言っていただけると嬉しいです。
例えば第5章では、「生活者市場予測システム(mif)」という大量の意識・行動データを収集したツールなどを用いた分析手法を紹介しています。大量の消費者調査を元にしたシンジケートデータ(有料のデータ)を用いた手法は、総合広告代理店のプランナーにとっては常識的なものですが、デジタルマーケティングに従事しているマーケターにはなじみがない方が多いと思います。
こうした情報を随所に盛り込むことによって、マーケティングにおける分析手法のすそ野を広げたいと私たちは考えています。
「生成AIで理系タスクをこなせるようになってください」「勇気を持って自分の言葉で語りましょう」
神津:
改めて、『その決定に根拠はありますか? 確率思考でビジネスの成果を確実化するエビデンス・ベースド・マーケティング』を通じて伝えたい想いや、マーケターにどのような浸透させていきたい考え方などを教えていただけますか?
小川:
先ほどの話にもつながりますが、まずは実装型のマインドでいろいろな分析手法を試してほしいです。
例えば、Meta社が作成した「Robyn(ロビン)」という自動MMMツールを使えば、誰もがMMMを実践できます。私が提唱する消費者調査MMMも、顧客理解の観点で非常に高いパフォーマンスを発揮します。
かつては大手企業が巨大な予算を投じなければできなかった調査が、個人レベルでもできるようになっているんです。これだけ便利なツールがあるのに、それをやらない理由はありません。
そこまでいかずとも、まずはインタビュー調査などを実践するところから始めるだけでも構いません。本書で紹介している手法を、どんどん活用してほしいと思います。
とはいえ、正直これだけ多くの便利なツールがあったとしても、レガシーなやり方を変えられない方も多いと思っています。ですから、私は若手ビジネスマンと大学生の方々を思ってこの本を書きました。
従来のやり方が染み付いていない世代に本書を手にとってもらい、どんどんマーケティングのあり方を変えてほしいと本気で願っています。
山本:
私も同感です。顧客と接点を持つ若いマーケターのなかでも、筋がいいと感じるのは「データを自分ごと化して消化するというアクションを取れる人」です。このことに気付いたのが、「顧客理解の理解」の重要性を実感するきっかけでもありました。
データを自分ごととして消化できるような人は、ビジネスの生産性を高めるためのアクションを自分ごととして、身近なところから模索し始められます。その模索の過程で、いつかMMMなどの手法に自然とたどり着くでしょう。私たちが紹介する手法は、架空の魔法のような存在ではありません。むしろ、皆さんの生活と地続きにある存在です。
そのことに早く気付くきっかけに、本書がなればいいなと思います。
神津:
マーケターとして、最初のボタンをかけ間違えないようにするために、本書を手に取っていただきたいです。最後に、そんな若い世代のマーケターの皆さんに、これからどんなことにチャレンジしてほしいですか?
小川:
非常に具体的なアドバイスになってしまうんですが、ぜひ生成AIでプログラムを書いてみてください。
本書には講義動画が付録として付いているのですが、そこでは書籍内でまったく触れていない生成AIについて何度も言及しています。
私はあるビジネス教育のプラットフォームを運営する企業で、リスキリングの一環として生成AI活用について講義をしたことがあります。そこで痛感したのは、多くのマーケターはメール文書作成をはじめとした、いわゆる「文系タスク」でしか生成AIを使っていないという事実でした。
私はデータサイエンスに関しては素人ですし、R言語についても詳しくない非エンジニアです。それでも、消費者調査MMMの分析用プログラムコードを、生成AIを用いて書いています。
マーケターに限らず、多くのビジネスパーソンは生成AIで文系タスクを効率化できます。ですが、プログラムコードの抽出など、理系のタスクを生成AIに任せられる人はまだまだ少数派です。
私はむしろ、特許のひとつでも持っていないと、フリーのマーケターとして生計を立てることはできないという危機感を持って、生成AIを活用していますし、消費者調査MMMの技術で特許も出願しました。現時点で誰もやっていないことに取り組むことで、はじめて大きな付加価値を生み出せると考えています。
若い世代のマーケターは、この逆張り精神を大事にしてほしいです。理系タスクを生成AIで実装できるようになることは、これからの働き方で損は絶対にないと断言できます。
神津:
弊社でも生成AI活用を積極的にうったえていますが、小川さんのおっしゃるとおり用途の8割は文系タスクです。逆張り精神の重要性を、もっと全社に周知させていきたいですね。
山本:
私が若い世代の方々に付け加えるのならば、「人の話をよく聞いた上で自分の感覚で語ることを恐れないでください」と伝えたいです。
もちろん、ビジネスでなんらかの結論を語るとき、そこにはエビデンスが必須です。自分の感覚だけで決めてはいけません。ただ、自分の感覚を大切にして、勇気を持って戦略のたたき台を提示できるようになってほしいとも思っています。
誰かが話していたことや、なんらかの調査で出てきた数字を借り物のような感覚で語らない。情報を自分のなかで一度消化して、自分の感覚とすり合わせて自分の言葉にしていきましょう。
私は二度目の転職をして1年半が経過しましたが、転職当時の自分が語っていたことを振り返ると、あまりにしょぼい仮説設計で逃げ出したくなるくらい恥ずかしくなります(笑)。ですが、その過程を積み重ね、顧客と事業の理解が進み、自分の感覚の焦点が徐々にあってきました。このような過程の先に、ビジネスパーソンとしての成熟や事業成長というゴールが見えてくるのだと思うんです。
ビジネスの正解は誰にもわかりません。だからこそ、勇気を振り絞って「自分の言葉で語る」という第一歩を踏んでください。
- ライター:神津 洋幸(こうづ ひろゆき)
- ストラテジックプランナー、リサーチャー。Webプロモーションの戦略立案、Web広告効果の分析・オプティマイズ、各種リサーチなどを担当。前職はマーケティングリサーチ会社にて主に広告効果の調査・分析・研究業務に従事。2004年より現職。
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